宗派について
■名称
浄土宗(じょうどしゅう)
■宗祖
法然上人(ほうねんしょうにん)(法然房源空(ほうねんぼうげんくう))(1133~1212)
■開宗
今から820年ほど前、承安(じょうあん)5年(1175)
■本尊
阿弥陀仏(あみだぶつ)(阿弥陀如来(あみだにょらい))
■教え
阿弥陀仏の平等のお慈悲(じひ)を信じ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とみ名を称(とな)えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るいやすらかな毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれること)を願う信仰です。
お経 お釈迦(しゃか)さまがお説きになった『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』の浄土三部経(さんぶきょう)をよりどころとします。
宗祖 法然上人

宗祖・法然上人御影 (総本山知恩院蔵)
法然上人は、正式な名前を 法然房源空 といいます。
幼名は勢至丸です。
<略歴>
- 長承2年(1133)
- 美作国久米南条稲岡庄に、父・漆間時国と母・秦氏の間に生まれる。
- 保延7年(1141)
- 父・漆間時国が、明石定明の夜襲により亡くなり、9歳で出家する。
- 天養2年(1145)
- 天台宗比叡山に登る。13歳
- 久安3年(1147)
- 西塔北谷の持宝房源光に師事し、戒壇院で戒を授かる。15歳
- 久安6年(1150)
- 西塔黒谷の慈眼房叡空に師事し、空の字を取り、法然房源空と改名する。18歳
- 承安5年(1175)
- 阿弥陀如来の本願の真意を感得し、浄土宗を開く。43歳
- 文治2年(1186)
- 南都北嶺の僧達と洛北大原勝林院にて問答をする。大原談義という。54歳
- 建久9年(1198)
- 選択本願念仏集を著す。66歳
- 建永2年(1207)
- 四国へ配流となる。
- 建暦元年(1211)
- 京都に召還される。
- 建暦2年(1212)
- 一枚起請文を著し、亡くなる。80歳
元祖大師御遺訓 一枚起請文
唐土我朝に、もろもろの智者達の、沙汰し申さるる観念の念にもあらず。また学問をして、念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。
証のために両手印をもってす。
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢んぬ。
建暦二年正月二十三日 大師在御判
<一枚起請文とは>
建暦二年(1212)法然上人が、お亡くなりになる直前に、その弟子の一人である現智上人の要請により、書かれたものです。浄土宗の教えの要であるお念仏(称名念仏)の意味、心構え、態度について、とても簡潔に説明されています。さらに、本文中に「両手印をもってす」とあるように、両手の判を押し、上人自身 が証明していらっしゃいます。法然上人のお誓いの文章であることから「御誓言の書」とも呼ばれ、大本山金戒光明寺に大切に保存されています。